親の老人ホーム入居が決まっても、実家をすぐ売るのが正解とは限りません。ただ、準備だけは早く始めたほうがよい理由があります。家を売れるのは、親本人が契約の内容を理解して判断できるうちだからです。
確かめる順番は決まっています。施設の契約条件、親が家へ戻る可能性、家の名義、そして親本人の意思。この4つを確認してから、売るかどうかを決めます。
入居金に売却代金を充てるなら、見るべき日付は査定日でも売買契約日でもありません。決済日です。決済日とは、買主から残りの代金を受け取り、家を引き渡す日を指します。
ここを取り違えると、「2,000万円で売れそう」と分かった時点で安心してしまい、入居金の支払いには間に合わない、ということが起きます。仲介では、買主が決まって売買契約を結んだ後も、決済までにまだ時間がかかります。買主の融資や書類に問題があれば、予定はさらに延びます。
なお「老人ホーム」は、有料老人ホーム、特別養護老人ホーム、介護老人保健施設、認知症グループホームなどをまとめた呼び方です。売却を考える手順は、施設の種類が違っても変わりません。
最初の一歩は、置かれている状況で変わります。今の状況に近い行を探してください。
| 今の状況 | 最初にすること |
|---|---|
| 親が売却に同意し、契約内容も理解できる | 名義、ローン、購入時の契約書を確認し、売り方を比べる |
| 施設を比較中、体験入居中、家へ戻る可能性がある | 査定と書類確認までは進め、売買契約は結ばない |
| 入居金の支払期限が迫っている | 施設の支払方法と、仲介・買取それぞれの入金日を同時に確認する |
| 親が売却の意味を理解できるか判断しにくい | 委任状を作る前に、本人の意思をどう確認するかを不動産会社や司法書士へ相談する |
| 成年後見人など、法律上の代理人がすでにいる | 自宅の売却に家庭裁判所の許可が要るかを、契約前に確認する |
| ローンの残額と売却費用が、売却代金を上回りそう | 不足額を計算し、自己資金で補えるか、金融機関が抵当権(ローンの担保)を外す手続きに応じるかを確認する |
| 子ども名義に変えてから売ろうとしている | 名義変更をいったん止め、贈与税などの影響を税理士・司法書士へ確認する |
最初の結論|準備は入居前から、契約は「4条件」がそろってから
「入居前か、入居後か」だけで売る時期を決めると、判断を誤ります。決め手になるのは時期ではなく、次の4つがそろっているかどうかです。
- 親の意思と、誰が売る権限を持つのかがはっきりしている
- 施設の契約内容と支払期限を、書面で確認できている
- 家へ戻る可能性と、退所したときの住まいを家族で話せている
- 売却代金がいつ入り、費用を引いていくら残るのかが分かっている
一つでも曖昧なら、査定や書類集めは進めても、売買契約は待ちます。とくに「施設が合わなければ家に戻りたい」と親が思っているのに入居前に売ってしまうと、戻る場所そのものがなくなります。
逆に、次のどれかに当てはまるうちは、売買契約へ進んではいけません。
- 所有者が誰か、代理人にどこまで任せられるか、本人が売却の意味を理解できるかを確認できない
- 共有者の全員が、売ることに同意していない
- 家庭裁判所の許可が必要な売却なのに、まだ得ていない
- 支払期限より前に決済できるか分からず、代わりの資金もない
- ローンの残額と売却費用が売却代金を上回り、不足分の手当てができていない
- 施設を退所したときの住まいを、まだ決めていない
親が売却を望み、入居も決まり、空き家の維持も難しい。この状態なら、入居前から動き出します。登記事項証明書で名義を調べる、ローン残高を確認する、購入時の契約書を探す、家財の整理方針を決める、査定を受ける。ここまでは「売る」と決める前でも進められます。調べた結果を見て「やはり今は売らない」と判断しても構いません。
入居前に売却まで進めやすいケース
- 親自身が売却を望み、売る家、価格の目安、売却後の生活を理解している
- 施設の本契約が済み、退所したときの住まいも考えてある
- 空き家の管理が難しく、維持費が親の生活費を圧迫している
- 入居金に売却代金が必要で、期限前の決済を確定できる
- 共有者の同意と、抵当権を外すための金融機関との調整が済んでいる
入居後まで待つ余地があるケース
- 体験入居や短期利用の段階で、施設が合うかどうか分からない
- 親が実家へ戻りたいと考えており、医療・介護の面でも戻れる見通しがある
- 施設の契約、入居日、初期費用がまだ確定していない
- 入居金は預貯金などで賄え、急いで安く売る必要がない
- 本人が売却を理解できるか、代理人にどこまで任せられるか、共有者が同意しているかに、確認事項が残っている
待つ場合も、そのまま放っておかないことです。「入居から3か月後に、本人の希望、施設での暮らし、家の維持費、税金の期限をもう一度見直す」というように、家族で再検討の日を決めておきます。
入居金に間に合うかは「決済日」から逆算する
査定で高い金額が出ても、そのお金をすぐ使えるわけではありません。売却は、次の順に進みます。
不動産会社が、売れそうな価格の目安を出します。
不動産会社へ仲介を依頼し、買主を探します。
買主候補から、価格や条件の希望が出ます。
売主と買主が条件に合意し、通常は手付金を受け取ります。
残りの代金を受け取り、家を引き渡します。ここで初めて、費用を引いた売却代金を使えます。
査定額は、不動産会社が「これくらいで売れそう」と見込んだ金額です。売り出し価格は広告に出す希望価格であって、成約価格ではありません。売買契約を結んだ時点で受け取れるのも、通常は手付金だけです。
契約から残代金の決済・引き渡しまでは、数週間から数か月かかります。決済の日には、名義を買主へ移す書類や、住宅ローンの抵当権を外す書類もそろえます。一つでも足りなければ、その日は決済できません。
つまり、入居金の資金計画に入れてよいのは「高く売れそうな金額」ではなく、期限前の決済で実際に残る見込み額だけです。
| 売却の段階 | 入居金の資金計画での扱い |
|---|---|
| 査定額が出た | まだ使えない。比較材料にとどめる |
| 売り出し価格を決めた | まだ使えない。買主も実際の売却価格も未定 |
| 購入申込書を受け取った | 買主候補の希望にすぎず、条件変更や撤回もある |
| 売買契約を結び、手付金を受け取った | 契約解除時の返還に備え、原則として入居金へ回さない |
| 決済条件・必要書類が整い、残代金を受け取った | ローン返済や売却費用を差し引いた範囲で使える |
施設と家の「6つの日付」を1枚にする
施設と家、それぞれで日付が動きます。次の欄を埋めると、まだ決まっていないものが浮かび上がります。
| 確認する日付 | 日付・期限 | 確認先 |
|---|---|---|
| 施設の申込期限 | __年__月__日 | 施設 |
| 施設の本契約日 | __年__月__日 | 施設 |
| 入居金・前払金の支払期限 | __年__月__日 | 施設 |
| 入居予定日 | __年__月__日 | 施設 |
| 家の売買契約予定日 | __年__月__日 | 不動産会社・買主 |
| 家の決済・残代金入金予定日 | __年__月__日 | 不動産会社・買主・金融機関 |
以下は記入例です。日付は架空で、標準的な日数を示すものではありません。
| 確認する日付 | 仮想例 | この時点で確認すること |
|---|---|---|
| 施設の申込期限 | 2026年8月5日 | 申込金の返還条件 |
| 施設の本契約日 | 2026年8月12日 | 支払方式、解約・返還条件 |
| 入居金・前払金の支払期限 | 2026年10月15日 | 遅れた場合の扱い |
| 入居予定日 | 2026年10月20日 | 入居前に解約した場合の扱い |
| 家の売買契約予定日 | 2026年9月1日 | 手付金、解除条件、買主の融資条件 |
| 家の決済・残代金入金予定日 | 2026年10月5日 | ローン完済、必要書類、着金額 |
この例では、決済日から支払期限まで10日あります。ただし、10日あれば安心とは限りません。買主の融資、登記書類、施設への送金方法を確認し、それでも決済が遅れたときの資金を用意できるかどうかで判断します。
査定額ではなく「手元に残る額」で不足額を測る
入居金が1,000万円、家の査定が1,500万円。これで足りると考えると危険です。住宅ローン、売却費用、家財の処分費、税金への備えを差し引くと、手元に残る額はかなり減ります。
まず、施設側でいくら必要になるかを出します。
施設入居に必要な資金 = 入居時の前払金・初期費用 + 引っ越し・家財・医療などの初期支出 + 家族で決めた月額不足への備え
施設資金の不足額 = 施設入居に必要な資金 − 親が使える預貯金など
ここでいう「親が使える預貯金」は、口座残高の全額ではありません。急な入院費、日用品、施設の月額費用、退所や転居に備えるお金を残したうえでの金額です。
次に、家を売って手元に残る額を出します。これを、この記事では「税引前の手取り見込み」と呼びます。
税引前の手取り見込み = 売却価格 − 住宅ローン返済額 − 仲介手数料などの売却費用 − 登記・家財整理・測量などの必要費用 − 決済までの保有費
保有費とは、家を引き渡すまでにかかる固定資産税、保険料、光熱費、管理費などです。
売却益に税金がかかりそうなら、その分も別に取り分けます。税額が分からないまま「残ったお金は全部使える」と考えないことです。
架空例|高い査定より、期限までに使える額を見る
次は計算方法を示すための架空例です。実際の相場や標準的な費用を示すものではありません。単位は万円です。
施設側の不足額
| 項目 | 金額 |
|---|---|
| 入居時の前払金・初期費用 | 800 |
| 引っ越し・家具・当初の医療費など | 60 |
| 家族で決めた月額不足への備え | 120 |
| 必要資金の合計 | 980 |
| 親の預貯金500万円のうち、緊急予備費150万円を残した使用可能額 | -350 |
| 不足額 | 630 |
家には600万円の住宅ローンが残っています。仲介と買取について、費用をすべて並べると次のようになりました。
| 項目 | 仲介案 | 買取案 |
|---|---|---|
| 売却価格(仲介は成約予想価格) | 1,700 | 1,500 |
| 住宅ローン完済額 | -600 | -600 |
| 仲介手数料 | -63 | 0 |
| 印紙・登記・司法書士など | -7 | -7 |
| 家財整理・引っ越しなど | -20 | -43 |
| 決済までの保有費・その他 | -10 | -10 |
| 税引前の手取り見込み | 1,000 | 840 |
| 売却益にかかる税金への備え | -100 | -100 |
| 施設費へ回す計画額 | 900 | 740 |
| 入金時期 | 買主未定 | 支払期限前の決済条件を書面で確認 |
費用と税金への備えは、計算方法を示すための仮の金額です。買取案の仲介手数料を0円としたのも、不動産会社が直接買い、別の仲介会社が入らないという想定によります。実際の金額は、査定書や契約条件、税理士などの試算に置き換えてください。
この例では、仲介のほうが160万円多く残ります。ただし、支払期限までに買主が見つかるか、決済日がいつになるかは決まっていません。入居金を別の安全な資金で一時的に立て替えられるなら、仲介を待つ余地があります。立て替えられないなら、買取案、施設の支払方法の変更、入居日の調整を並べて比べます。
入居金の支払いに間に合わないときの確認順
支払期限が近づくと、家の値下げに手が伸びます。しかしその前に、施設側で条件を変えられないか確かめる余地があります。次の順に当たれば、安く手放す判断は最後に回せます。
1.施設へ「金額・期限・解約時の扱い」を書面で確認する
有料老人ホームの支払方法には、全額前払い、一部前払いと月払いの併用、月払いなどがあります。どれを選べるかは施設ごとに違うので、まず聞くのはそこです。
契約前に、入居契約書、管理規程、重要事項説明書、サービス一覧を受け取ります。そのうえで、前払金の計算方法、前払金を利用期間に応じて費用へ充てていく「償却」、退去時の返還額、運営会社が返金できなくなった場合に備える「保全措置」、月額費用と追加負担を確認します。
有料老人ホームでは、前払金を支払って入居後3か月以内に契約が終了した場合、実際に住んだ期間の家賃などを差し引き、残りを返す仕組みがあります。ただし、一般的なクーリングオフとは別のものです。3か月は契約日ではなく入居日から数えます。返還額が決まっても即日入金とは限らないため、計算式と返金日の両方を契約書で確認してください。
施設へは、少なくとも次を尋ねます。
- 申込金、入居金、前払金など、名称ごとの金額と支払期限
- 期限を過ぎた場合、部屋の確保や契約はどうなるか
- 前払方式・一部前払方式・月払方式などを選べるか
- 入居日や支払日を変更できるか
- 入居前に解約した場合、申込金などは返ってくるか
- 入居後まもなく退所した場合の返還額と、返金の時期
- 月額利用料に含まれない医療、介護、消耗品などの費用
返還ルールは、口頭の説明だけで判断しないことです。「家が売れなかった場合はどうなるか」を担当者へ率直に伝え、契約書の該当箇所を指してもらいます。扱いは施設の種類や契約によって違うため、別の施設で聞いた条件を当てはめてはいけません。
2.仲介と買取を、同じ条件で書面にして比べる
仲介は、不動産会社に買主を探してもらう方法です。広く買主を募れる代わりに、成約価格も決済日も、買主が決まるまで確定しません。
買取は、不動産会社などが直接買う方法です。価格と決済日を早い段階で詰めやすく、内覧や家財整理の負担を減らせる場合もあります。その代わり、再販売の費用と利益を価格に織り込むため、仲介の成約予想価格より低くなることがあります。
| 比較する項目 | 仲介 | 買取 |
|---|---|---|
| 価格 | 成約予想価格を幅で確認 | 現地確認後の買取価格を確認 |
| 決済日 | 買主が決まってから調整 | 提示の時点で対応可能日を聞きやすい |
| 売主の負担 | 仲介手数料、片付け、修繕などを確認 | 仲介手数料の有無、価格から差し引く費用を確認 |
| 家財 | 原則は撤去。残せる物があるかを確認 | 家具や荷物を残したまま引き渡せる範囲を確認 |
| 契約条件 | 買主の融資、引き渡した家が契約内容と違った場合の売主の責任、解除条件 | 再査定・減額の条件、引き渡し後の売主の責任、解除条件 |
「高く売れます」「すぐ買い取れます」という口頭の説明で決めず、次の条件を書面で並べて比べます。
- 仲介の成約予想価格は、低め・標準・高めでいくらか
- 買取価格は、現地確認の後も変わらないか
- 親が最終的に受け取る税引前の手取り見込みはいくらか
- 売主が用意する書類は何か。決済日が延びるのはどんな場合か
- 仲介会社と買主は同じか。別なら仲介手数料はかかるか
- 家財、境界、測量、修繕などの費用は誰が負担するか
「仲介で一定期間売れなければ買い取る」という保証を付ける会社もあります。使うなら、買取価格、切替日、適用条件、途中の値下げ、対象外になる事情まで契約書で確かめます。
3.それでも足りないときだけ、つなぎ資金を検討する
親族間でも、返済能力があり、実際に返している貸し借りなら、借入金そのものは贈与になりません。逆に「ある時払い」のような曖昧な約束は、贈与として扱われる場合があります。
融資を使うなら、金利だけを見ないでください。事務手数料、担保を設定する費用、返済期限、売却が遅れた場合の負担、予定より早く返すときの費用まで含めて比べます。「家は高く売れるはず」という見込みを返済の当てにするのは危険です。借りられるかどうかだけでなく、家を急いで売る場合と比べて総負担が小さいかどうかも確かめてください。
低所得世帯や高齢者世帯などを対象とする生活福祉資金貸付制度もあります。ただし、利用目的、収入、資産、地域の審査といった条件があり、入居金のつなぎとして誰でも使える制度ではありません。
「売る・貸す・いったん持つ」を親の暮らしを軸に比べる
実家の選択肢は、売るだけではありません。貸す、しばらく持つ。親の希望、家へ戻る可能性、資金、管理の手間を、同じ土俵で比べます。
| 選択肢 | 向いている状況 | 注意点 |
|---|---|---|
| 売る | 戻る予定がなく、施設費用や今後の生活費に充てたい | 売った後は戻れない。期限を優先して価格を下げすぎない |
| 貸す | 戻る可能性が低く、賃貸需要があり、修繕・管理を続けられる | 空室、修繕、滞納、退去交渉がある。売りたい時にすぐ売れるとは限らない |
| いったん持つ | 施設に慣れるか、本人の希望が変わらないかを見てから決めたい | 管理者、保険、郵便、庭、換気、光熱水費、再検討日を決めておく |
貸せば家賃は入りますが、まとまった入居金をすぐ用意する方法にはなりません。入居者がいる状態で売る場合は、空き家として売る場合と、想定する買主も価格条件も変わります。
一方で、貸したからといって、売却益から最高3,000万円を差し引ける税の特例が必ず使えなくなるわけでもありません。住まなくなった家は、一定の期限までに売るなどの要件を満たせば、その間の使い道は問われないからです。ただし、賃貸中も売却の期限は延びず、取り壊した場合には追加の条件もあります。
貸すか迷うときは、想定家賃だけで判断しないことです。空室期間、管理委託料、修繕、固定資産税、保険、将来の売却条件を差し引いた収支を出し、そのうえで「いつまで貸すか」「何が起きたら売るか」を決めます。
売らずに空けておくなら、担当者と見直し日を決める
親の入居後に家を空けるなら、次を家族で分担します。
- 郵便物の転送と、重要書類の保管
- 火災保険会社への、使用状況の連絡
- 換気、通水、漏水、雨漏り、庭木、害虫の確認
- 電気・水道・警備など、残す契約と止める契約
- 鍵を持つ人、訪問記録、近隣の緊急連絡先
- 固定資産税、管理費、修繕費の支払口座
- 売る・貸す・持つを再検討する日
親名義の家を売れるのは、親本人か、権限を持つ代理人だけ
家の名義を買主へ移す手続きができるのは、原則として所有者本人か、本人から法律上有効に任された代理人だけです。親名義の実家を、子どもが「家族だから」という理由で売ることはできません。
出発点は、法務局で取る登記事項証明書です。ここで4つを確認します。
- 土地と建物の所有者は誰か
- 親子や夫婦などの共有になっていないか
- 住宅ローンなどの抵当権が残っていないか
- 登記上の氏名・住所が、現在のものと一致しているか
登記事項証明書はオンラインでも請求できます。共有なら、原則として共有者全員の同意が必要です。ローンが残っていれば、金融機関に返済が必要な残額と、抵当権を外す手順を確認します。
親が判断できるうちなら、委任できる場合がある
親が売却の内容を理解し、自分の意思で委任できる状態なら、子どもが手続きを代行できる場合があります。ただし委任状は、判断能力が落ちた後の売却を可能にする万能の書類ではありません。
売る物件、価格や条件の決め方、代金の受取口座、代理人にどこまで任せるかを具体的に書き、本人確認の方法を不動産会社と司法書士に相談します。本人の意思を確かめないまま、家族だけで定型の委任状を作るのは避けてください。
認知症の診断だけで、売却できないと決まるわけではない
契約の内容と結果を理解して判断する力を、法律では「意思能力」と呼びます。民法では、契約をした時点で意思能力がなければ、その行為は無効です。つまり、診断名だけで一律に決まるのではありません。問われるのは、どの家を、いくらで売り、売った後どうなるかを、その時点で本人が理解して判断できるかどうかです。
家族だけで「大丈夫そう」と判断せず、次の内容を本人が自分の言葉で説明できるか、不動産会社や司法書士に直接確かめてもらいます。
- どの家を売るのか
- おおよそいくらで、どのような条件で売るのか
- 売れば、その家へ自由に戻れなくなること
- 費用を引いた代金を、何に使うのか
- 売らない、貸す、待つという選択肢もあること
理解がはっきりしない場合は、そこで契約を止めます。任意後見契約や家族信託があるなら、その内容と売却権限を確認します。どちらもなければ、成年後見制度の利用を含めて、弁護士や司法書士へ相談してください。
任意後見制度は、本人が十分に判断できるうちに、将来の支援者と支援内容を公正証書で決めておく制度です。判断能力が低下した後、家庭裁判所が支援者を監督する人を選ぶと、契約の効力が生じます。
成年後見人などが売る場合も、家庭裁判所の許可が必要
成年後見人が本人の家を売る場合は、家庭裁判所の許可が必要です。保佐人や補助人が、家を売る権限を与えられている場合も同じです。施設へ入る前に住んでいた家や、将来戻る可能性がある家も対象になり得ます。必要な許可を得ずに売却すれば、その売却は無効です。
申立ての際は、売買契約書案、不動産の評価資料、登記事項証明書などの提出を求められます。価格や売却の理由、本人の住まい、代金の管理方法を説明できるようにし、契約を確定させる前に、担当する家庭裁判所へ手順を確認してください。
売却代金は親の財産として管理する
親名義の家の売却代金は、親の財産です。原則として親名義の口座で受け取り、入居金、介護費、医療費、生活費など、親のために使います。家族が立て替えた費用を精算するなら、領収書、振込記録、立替日、目的を残しておきます。
売りやすくするためだけに、親から子へ先に名義を変えるのは避けてください。無償の名義変更は税務上の贈与と扱われることがあり、贈与税などが生じる可能性があります。動かす前に、税理士と司法書士へ確認します。
老人ホーム入居後に家を売るときの税金
売却価格がそのまま課税されるわけではありません。売却価格から購入費用や売却費用などを引いた税務上の利益を「譲渡所得」といいます。土地・建物の譲渡所得は、基本的に次の式で計算します。
課税譲渡所得 = 売却による収入金額 −(取得費 + 譲渡費用)− 特別控除
取得費とは、その家や土地を買ったときにかかった費用です。購入代金や購入時の手数料などが含まれます。建物部分は、年数の経過による価値の減少分を差し引いて計算します。
購入時の契約書や領収書が見つからないときは、売却収入の5%を取得費とする方法もあります。ただし、実際の取得費より低くなれば、その分だけ譲渡所得が大きくなります。古い契約書、領収書、通帳は、家財を処分する前に探してください。
税率の区分は、売った年の1月1日時点で所有期間が5年を超えるかどうかで変わります。相続した家では、原則として亡くなった人の取得時期を引き継ぐなど、数え方に注意が必要です。
親が生きている間に売る場合|3,000万円特別控除は「売値から引く制度」ではない
たとえば親が2026年中に施設へ移り、その家に住まなくなった場合、期限の要件は原則として2029年12月31日までの売却です。ほかにも、親族など特別な関係にある相手への売却でないこと、確定申告をすることなどの要件があります。
家を取り壊して土地を売る場合は、取り壊しから1年以内に売買契約を結ぶ、取り壊し後に駐車場などへ使っていない、といった追加条件が付きます。入居後すぐに解体せず、特例と売り方を税務署や税理士へ確認してから決めてください。
親の死亡後に相続人が売る場合|別の空き家特例を確認する
親が売却前に亡くなった場合は、手続きも税制も変わります。遺言、相続人、遺産分割の状況を確認し、必要な相続登記を経て、権利を取得した相続人が売主になります。
亡くなった親が住んでいた家のうち、一定の要件を満たすものには、相続人向けの別の特別控除があります。税法で「被相続人居住用家屋」と呼ばれる家です。親が要介護認定などを受けて対象となる老人ホームなどへ入所していた場合も対象になり得ますが、次のような固有の条件があります。
- 原則として1981年5月31日以前に建築された家屋で、区分所有建物ではない
- 親が施設へ移る直前に、親以外の人が住んでいない
- 施設へ移った後から売却まで、旧宅を賃貸、事業、他人の住まいに使っていない
- 耐震基準への適合、または家屋の取り壊しなど、制度上の条件を満たす
- 相続開始から3年を経過する日の属する年の12月31日まで、かつ現行制度では2027年12月31日までに譲渡する
老人ホームへ入っていたという事実だけで使える制度ではありません。親の生前売却の特例と、相続後の空き家特例は別のものとして、税理士や税務署へ確認してください。
実家を売却する9つの手順
期限があるときほど、順番が大切です。次の流れで進めれば、家を売れるかどうか分からないまま、施設の契約だけが先に進む事態を防げます。
家へ戻る可能性、入居日、前払金、月額費用、支払期限、解約・返還条件を記録します。
土地・建物の所有者、共有者ごとの持分、抵当権、登記上の住所を見ます。
親本人が売るのか、代理人を立てるのか、後見制度や裁判所の許可が必要かを整理します。
入居時の費用だけでなく、月額の不足、医療費、緊急予備費を含め、家の売却で確保すべき金額を出します。
購入時の売買契約書、領収書、固定資産税の書類、ローン残高証明、建築・測量資料、修繕記録を探します。
価格だけでなく、税引前の手取り見込み、決済日、家財の扱い、追加費用、解除条件を書面でもらいます。
決済日が支払期限より前か、遅れたときの代替資金があるかを確認してから、売り方を決めます。
手付金、買主の融資、契約解除、土地の境界、引き渡し後の売主の責任、家に残す家具や荷物、抵当権を外す手続き、本人確認の条件を整えます。
親名義の口座で代金を受け取り、施設費などの支払い、立替の精算、翌年の確定申告に備えて記録を残します。
家族で決めておく7項目
家族会議でいきなり「売る・売らない」を決めようとすると、意見がぶつかります。先に、次の事実を1枚にまとめてください。
| 項目 | 家族で書く内容 |
|---|---|
| 親の希望 | 売却への賛否、戻りたい条件、残したい物 |
| 施設 | 契約日、入居日、支払額、期限、解約・返還条件 |
| 家の権利 | 所有者、共有者、ローン、登記上の住所 |
| お金 | 親が使える資金、施設資金の不足額、家の手取り見込み |
| 売却方法 | 仲介・買取の価格幅、決済日、売主の負担 |
| 売却までの管理 | 鍵、郵便、換気、保険、庭、費用負担 |
| 中止・見直しの条件 | 親の意思が変わった、施設が変わった、期限に間に合わないなど |
老人ホーム入居と家の売却でよくある質問
入居後、いつまでに実家を売るべきですか?
法律上、すべての人に共通する売却期限はありません。ただし、居住用財産の3,000万円特別控除には、住まなくなった日を基準とする期限があります。空き家の管理費も、本人の判断能力も、時間とともに変わります。入居後に待つなら、再検討の日を決め、税務上の期限より前に確認してください。
親が施設へ入った後、子どもが代わりに売れますか?
子どもというだけでは売れません。親が内容を理解したうえで売却手続きを任せた場合は、子どもが代理人として進められることがあります。認知症の診断だけで売れないと決まるわけではありませんが、親が売却の内容と結果を理解できない場合は、家族の委任状だけで進めず、成年後見制度などについて司法書士や弁護士へ相談してください。
売買契約時の手付金を入居金に使ってもよいですか?
資金計画では、原則として当てにしないほうが安全です。契約が解除されれば、手付金の返還や、契約内容に応じた金銭負担が必要になる場合があります。入居金は残代金の決済後に使う前提とし、どうしても必要なら、解除条件と返還のリスクを不動産会社・弁護士へ確認してください。
家を貸すと3,000万円特別控除は使えなくなりますか?
貸したことだけで、直ちに使えなくなるとは限りません。住まなくなった日からの売却期限など、ほかの要件を満たす必要があります。取り壊した場合は追加条件もあるため、賃貸の期間と売却の予定を税理士や税務署へ確認してください。
家財が残っていても、入居金の期限に合わせて売れますか?
査定は受けられます。買取では、重要品だけ持ち出し、残った家具や荷物も引き受ける条件を出す会社があります。ただし、対象外になる物、処分費の追加、価格への織り込み方は会社ごとに違います。写真と一覧を共有し、残す物、費用、引き渡し時の状態を契約書へ明記してください。
親が売却手続きの途中で亡くなったらどうなりますか?
契約の前か後か、代理関係、相続人、遺言、買主との契約内容によって対応が変わります。家族だけで名義や代金を動かさず、不動産会社、司法書士、必要に応じて弁護士へすぐ連絡してください。税務上も、親本人のマイホーム売却とは別の制度を確認する必要があります。
まとめ|「入居日」ではなく、親の意思・支払期限・決済日をそろえる
老人ホーム入居に伴う家の売却は、入居前・入居後のどちらかに一律で決められません。親の意思、家へ戻る可能性、施設の契約内容、必要な資金、家の権利関係を確認したうえで判断します。準備は早く始めてよいものの、施設での暮らしや退所後の住まいが見えないうちは、売買契約を急がないでください。
入居金に売却代金を充てるなら、見るべき日は査定日ではなく決済日です。間に合わないときは、施設の支払方法や入居日の調整、買取、記録を残した家族からの借入れ、融資の順に検討します。そして最後に確かめるのは、施設費を払った後も、親の医療・介護・生活費が残る計画になっているかどうかです。
主要な根拠資料
- 有料老人ホームの選び方マニュアル(厚生労働省)
- 有料老人ホーム設置運営標準指導指針(厚生労働省)
- 不動産売買の手引(不動産適正取引推進機構)
- マイホームを売ったときの3,000万円特別控除(国税庁)
- 土地や建物を売ったとき(国税庁)
- 取得費が分からないとき(国税庁)
- 民法(e-Gov法令検索)
- 成年後見制度(法務省)
- 居住用不動産処分の許可申立て(裁判所)
- 不動産登記の証明書等を請求する方へ(法務局)
- 住所等変更登記の義務化(法務省)
- 不動産の名義変更と贈与(国税庁)
- 被相続人の居住用財産を売ったときの特例(国税庁)
- 老人ホーム等に入所していた場合(国税庁)
- 空家法改正と固定資産税の措置(国土交通省)
- 親から金銭を借りた場合(国税庁)
- 生活福祉資金(全国社会福祉協議会)
